わたしが軽自動車を選ぶ理由。
軽トラ市は未来のマーケット!?
研究者が見出す軽トラ市の価値とは
2024.11.11
これまで岩手県雫石町、愛知県新城市、宮崎県川南町の「日本三大軽トラ市」を取材し、現場のにぎわいの様子をご紹介してきました。実は日本各地で定期的に行われている軽トラ市は、およそ100ヵ所にのぼると言われています。なぜ多くの地方都市で軽トラ市が行われているのでしょうか。軽トラ市が持つ意味やその可能性について研究している愛知大学三遠南信地域連携研究センターの戸田敏行教授にお話をうかがいました。
PROFILE
愛知大学地域政策学部 教授
戸田敏行
専門は、地域計画。豊橋技術科学大学工学研究科で博士号取得。公益社団法人東三河地域研究センター常務理事、豊橋技術科学大学客員教授を経て、2011年4月より現職。
軽トラ市って、どんな市?
戸田敏行教授は、軽トラ市の特徴として、以下の3点の特徴を挙げます。
①軽自動車を店に見立てて使っていること
②定期的に開催していること
③地域の人が運営に携わっていること
「最初に取り組みを知った時に、まちづくりに携わる人たちが自主的に取り組んでいることに感銘を受けました。開催している商店街は、いわゆるシャッター商店街も多く、そこに軽トラが集まることで一瞬にしてまちが現れる様も鮮やかです。
なにより2005年に最初に軽トラ市を始めたとされる岩手県雫石町が、20周年。他でも長く続いている地域がたくさんあります。これだけ持続性が高いのには、なにか秘訣があるのだと感じました」と話します。
軽トラ市が開催される町には、どんな特徴があるのでしょう。戸田教授のゼミでは、全国の軽トラ市の調査をしています。その結果、大都市圏である首都圏や近畿圏には少なく、多くが地方で開催されており、その分布は日本全国に亘っていること。三大軽トラ市でも人口1万5000人から4万人規模の町で行われていて、人口が少ない地域でも継続できることが分かっています。
開催頻度の平均は年に8回ほど。一番多いのが月に1度で、だいたい午前中に実施されています。お客さんの数は平均で1700人ほど。出店の数は平均27台という数字が出ています。もちろんそれぞれ規模が異なるため、数字にはばらつきがありますが、いずれもコツコツと継続されています。
軽トラ市の一番の魅力はなんですか?との問いに、戸田教授は「人と人が対面することです」と即答。軽トラ市では、生産者と消費者が実際に顔を合わせ、そこここで言葉が交わされています。季節の挨拶、どのような商品なのか、どう食べればおいしいのか、前回買った感想などなど。商品だけでなく言葉や気持ちのやり取りが、軽トラ市の醍醐味です。
コミュニケーションが生まれると、付随して様々なことが起こることが分かっています。例えば、軽トラ市の出店を家族が手伝うことから事業に変化が生まれたり、閉まっていた商店街の店舗が軽トラ市当日に開店するようになったり。大きな変化でなくても、関わる人達が積極的になることで「なにか」が変わることを、多くの人が感じています。
なぜ軽トラがピッタリなのか?
軽トラ市で、数台から80台の軽トラなどの軽自動車がズラリと並ぶ様は壮観です。なぜ軽トラが利用されるのでしょうか。戸田教授は次のように話します。
「まず、軽トラが〈日本のまちのサイズに合っている〉ことが挙げられます。荷台の高さはちょうど商品も見やすく、視界を遮らず道の向こう側が見渡せます。商店街で行われることの多い軽トラ市なので、商店街も同時に見えるのがいいんですね。
また〈誰もが使いやすい車〉である点も重要です。実は軽自動車の保有台数は人口密度と反比例しています。つまり人口が少ない地域ほど、軽自動車が広く利用されているということ。農業や漁業の作業で使われている様子は、想像ができますよね。多くの人にとって、身近で使いやすい車なのです。
さらにこれからの視点では、〈環境面に配慮することやデジタル化への目配せ〉も必要になります。その点で車は社会のニーズに従って適正小型化していくと、私は考えていますが、まさに軽自動車が体現しているのではないでしょうか」。
軽トラ市に並ぶ車両は、みんな様々に工夫を凝らしています。荷台いっぱいに農作物を積んでいる人もいれば、キッチンカーとしてさながらお店のような設えにしている人も。朝コンパクトにやってきて、あっという間にお店を立ち上げて、市が終われば軽くなった車で軽快に去っていく。日本で生まれた軽自動車は、誕生以来75年間かけて限られたサイズ内での容量や機能性を高めてきました。その使いやすさが存分に発揮されているのが、この軽トラ市なのかもしれません。
輪島朝市を、まずは軽トラで復活!
最近の注目している取り組みとして、戸田教授は輪島での軽トラ市の話題を挙げます。2024年1月の能登半島地震によって起きた火災などで、輪島朝市が行われていた一帯が消失してしまいました。地域のシンボルでもあり、アイデンティティでもあった朝市ですが、現状では再建までに時間がかかるため、金沢などでの〈出張朝市〉が始まっています。
「ふだんはテントを立てて開催されているのですが、これは軽トラ市のノウハウが活かせるのではないかと、〈軽トラ市でまちづくり団体連絡協議会〉と私たち愛知大学が連携し、新城など他のまちからの応援も駆けつけて、輪島市で軽トラ市を開きました。まずはモデルとして開催して、継続的な取り組みにつなげられたらと思っています。
漁師や農家のみなさんにとっては、やはり軽トラは身近な存在。店舗再開の前段階で、有効ではないかと考えています。これからも一緒に連携していきたいですね」と戸田教授。
長い伝統を持つ輪島朝市の歴史につながる、新たな〈軽トラ朝市〉。機動力があるという利点を活かして、災害復興のシーンでの店舗利用という新たな価値が生まれつつあります。
固定と仮想、その間にある可動の可能性を考える
戸田教授のゼミで学び、ゼミ長を務める平松千奈さんにも話をうかがいました。現在、愛知大学地域政策学部の4年生で、軽トラ市を舞台に調査を行い、軽トラ市同士をオンライン中継でつなぐプロジェクトにも携わりました。特に印象に残っているのは、長野県長野市篠ノ井地区と愛知県新城市の軽トラ市をつないだ時のことだと話します。
「せっかく同じ日の同じタイミングで開催されているのだから、オンラインでつないで交流をしようということになりました。互いの会場にモニターを設置してそれぞれの様子を映したり、出店店舗へのインタビューの様子を紹介したり。
これは軽トラ市同士の横のつながりを作ることが目的でした。また出店者のみなさんの思いを、他の地域の人にも伝えたいなという思いもありました。日本全国100ヵ所あまりで行われている軽トラ市がつながれば、次の新たな展開が生まれるかもしれません。いずれは遠くの軽トラ市のものが同時に買えるような仕組みが作れたらいいですよね」と平松さん。
戸田教授は都市を〈固定・可動・仮想〉という3層で見ています。人口減少が進めば、大都市以外では〈固定のまち〉が維持できなくなります。シャッター商店街は、まさにその現れです。一方でネット空間には、私たちにとってもう一つの現実が広がり、オンラインショッピングも盛んに行われるようになりました。私たちはいま〈仮想〉の空間にも生きています。
軽トラ市は、その間にある〈可動のまち〉の一つの現れです。過疎地域を回る移動スーパーもこの仲間に入ります。
重要なのは、この〈固定・可動・仮想のまち〉は対立するものではなく、まちの状況によってうまく組み合わせる必要があると戸田教授は考えています。さきほど平松さんが語った、他の軽トラ市の商品がオンラインで買えるというのは、可動+仮想の発想だと言えます。
このプロジェクトに参加して、平松さんは改めて人のエネルギーが大切なことを実感したと話します。「軽トラ市のスタッフの方に一日密着するリサーチをした日がありました。スムーズに軽トラが並ぶようテキパキと指示を出したり、出店者の一人ずつに声をかけて様子に目を配ったり。関係するみんなに寄り添いつつ、でも安全に運営するために厳しい面も持ちながら、一日中動き回っていました。どんなに“軽トラ市”というフォーマットがしっかりあっても、それに命を吹き込んでいるのは、成功させたいとがんばる人の力なんだなと思いました」。
スマートに縮減していく未来のために
戸田教授は、これからの日本の未来像を描くのは、まずは地方都市だと語ります。
「これから日本の人口が増えることは考えにくい。私自身は縮減していく社会を、別に悪いとは思っていないのです。ただ〈どのように小さくなっていくか〉というスマートな縮減の社会像は、まだ描かれていません。大都市と違って、軽トラ市を行っているような地方都市は、一足先に縮減していく中で、どのように安定していくかを考えなくてはなりません。そこには技術や制度が必要となってくるはずで、これをネガティブなことに捉えるのではなく、新しい創造として、誇りをもってやっていきたいと思います」。
軽トラ市に注目が集まるのも、いまの時代を表していると話します。
「2023年のジャパンモビリティショーのエントランスで、軽トラ市が行われたことが象徴的な出来事だと思います。日本中の軽トラ市から一堂に集まったんですよ。70年続いた東京モーターショーが〈ジャパンモビリティショー〉に名前を変え、自動車産業自体が変化をしているタイミングです。そこで20世紀の日本の産業をリードしてきた自動車業界が、軽トラ市に注目する日が来るなんて、少し前なら思いもよらなかったことです」。
これまでわがまちをよくしたいと、コツコツと地域の人たちが続けてきた軽トラ市。日本の社会のあり方や自動車に求めるものが変わっているタイミングで、様々な人たちが、その独自の価値に気づき始めています。