わたしが軽自動車を選ぶ理由。

軽自動車率68%。被災地を救う
「車の無償貸し出し」と、
軽の大きな役割

2024.10.28

 地震や大雨などの被害を受けた被災地に、車を無償で貸し出す支援活動があるのを、ご存知でしょうか? 2024年に起きた能登半島地震では、実に400台以上の車が、のべ4000回以上も無償で貸し出されました(2024年10月現在)。災害が多発化・甚大化する現代にあって、その有用性は計り知れません。

 そして、同取り組みにおいて獅子奮迅の活躍をしているのが、軽自動車です。車の無償貸し出しを担う日本カーシェアリング 代表理事の吉澤武彦さんに、なぜ被災地でそれほど車の貸し出しニーズが高いのか、そして“なぜ軽自動車なのか”を聞きました。

PROFILE

一般社団法人日本カーシェアリング協会 代表理事


吉澤武彦さん


6年間勤めた大阪の企業を退社後、平和や環境に関するさまざまな活動に取り組む。 東日本大震災を機に、一般社団法人日本カーシェアリング協会を設立し、以降、石巻を拠点にカーシェア事業に取り組む。

上場企業に「車をください」と頼みまわった

 直近では秋田山形大雨や能登半島地震など、各地で起こる災害で被災者に車を無償で貸し出してきた、日本カーシェアリング協会。活動の始まりは、2011年の東日本大震災にさかのぼります。

「私は大阪市の企業に6年勤めた後、ボランティアなどの社会活動に興味をもって退職しました。その際に出会ったのが、阪神大震災で支援の中心となった故 山田和尚さんです。以降、山田さんという師匠のもとで3年半ほど、さまざまな活動のお手伝いをしました」。

 そして2011年、東北で大震災が発生。宮城県石巻市では6万台以上の車が被災し、多くの人が“交通弱者”となった。その状況を見て山田さんは、「車の貸し出し支援をやってみたらどうか」と吉澤さんに提案します。

「私は車についてまったく詳しくなく、だからこそ、車を集めたらなんとかなるかな?と、あまり迷うこともなく踏み出せたのです」

 そこで吉澤さんは、大阪の活動拠点から自転車で行ける上場企業を訪れ、「東北に届けたいので車を1台寄付してほしい」と頼んでまわる活動を開始。のきなみ断られる中、1社だけ「そういうことなら、持っていけや」と承諾してくれた会社があり、2011年7月より被災地での貸し出しが始まりました。

 それにしても、なぜ吉澤さんは、被災地での車の貸し出し活動に的を絞ったのか。実はそこには、想像よりもはるかに大きなニーズがありました。

被災地は、『車がないと何もできない』というような、車社会の地域であることが少なくありません。そうした地域で車を失うと、通勤、買い物、通院といった日常生活ですらままならなくなりがちです。役所へ罹災の届けを出すのも、瓦礫や家財道具を片付けるのも、車がないと難しい。

 にもかかわらず、日本では住居を被災された方への公的支援制度は整っていながら、車を被災した方への支援制度がほとんどありません。そもそも車の貸し出し活動を展開するには、車の管理や事故に関するノウハウ、そして維持費などの資金が必要で、災害が起きた時に行政や企業ではなかなかパッと行えません。それなら、自分が専門の団体を立ち上げ、それを担っていこうと」。

これまで26の災害に対応し、7000回超の貸し出しを実行

 実際に協会が車を被災地に届けると、多くの人たちから『本当に助かった』とか『生活が前に進んだ』といった声が挙がります。また車があることで、たとえば高齢者の送り迎えを率先して行う人が出てくるなど、助け合いの活動も自然と生まれやすいといいます。

「そのように、車の貸し出しが生活再建に向けた確かな一歩となり、あわせて地域の絆を生むのを目の当たりにしてきたことが、活動を続ける原動力となっています」。

 こうして石巻からスタートした日本カーシェアリング協会は現在、石巻本部・九州支部・栃木支部・静岡支部・秋田支部の5拠点にまで拡大。設立13年間で、のべ26の災害に出動し、7000件以上の無料貸し出し支援を行ってきた。

 被災地での無料貸し出し支援は、おおまかに以下の仕組みで成り立っています。

1.SNSやメールニュースなどを通じ、車の寄付を募る。
2.寄付された車を、運搬ボランティアなどが被災地に運ぶ。
3.被災地に貸し出し拠点を設置し、車の名義変更と自動車保険加入を行った上で、貸し出す。

 このように、寄付やボランティアが大切な役割を果たす一方で、運営には車の手続きや維持を行う費用、そして運営者の人件費などがかかります。そうした運営費用は、どう捻出しているのでしょうか。

「おおよそ4割を財団などからの助成金、同じく4割を自主事業での収入、そして残り2割をクラウドファンディングなどによる寄付でまかなっています。自主事業は、災害地で車を貸し出すこの取り組みの他に2つあり、そちらの収入を、協会の運営費用に充てている形です」

 その一つが、車を地域コミュニティで共同利用してもらう『コミュニティ・カーシェアリング』という事業です。たとえばご近所同士が共用車で買物や旅行に行くといったサークル活動を通して、地域の活性化や支え合いを促進する取り組みで、現在25以上の地域で採用されています。こちらは、自治体から委託料を受け取っての事業となります。

楽しさと組み合わせてこそ持続的な取り組みに

 そしてもう一つが、NPOなどの非営利活動に携わる方や、地域に移住してきた方、生活に困っている方などに車を一定期間、定額で貸し出すことで地域を活性化させる『ソーシャル・カーサポート』です。こちらは協会の5つの拠点で展開する取り組みで、生活困窮者に関しては、毎年10~20名ほどが同事業を通じて生活再建をはたしています。

 では、ボランティアの人員に関しては、どう確保しているのでしょう。

「寄附車の運搬ボランティアは、フェイスブックグループで募集しています。『被災地のためになりたいけど、何をすればいいのか…』と思い悩む方が多い中にあって、1台の車を寄附者さまのもとから被災地に運転して届ける形で協力でき、実際に届けるとすごく現地で喜ばれることもあって、現在1000人を超える方々に登録いただいています。

 行きの交通費は協会負担で、帰りの費用は自己負担となるのですが、知らない土地でご飯を食べたり名所に寄ったりと、観光や被災地域での消費と組み合わせる方も少なくありません。そのようにして、支援をする側・される側双方に喜びや楽しさをもたらすことで、より価値のある、持続的な活動になると考えています」。

 そして、こうした日本カーシェアリング協会の活動に欠かせないものとなっているのが、「軽自動車」です。

 現在、同協会が所有する車は655台で、その約68%にあたる446台が、軽自動車となっています。先の能登半島地震でも、被災地で貸し出した407台中、263台が軽自動車でした。とりわけトラックにおいては、106台中99台を、軽トラックが占めました。

 なぜ軽自動車が、被災地でこれほど大活躍しているのでしょう。

軽自動車であれば、誰でも気軽に運転できます。くわえて家が密集した場所や、瓦礫などによって狭くなった場所でも、軽なら通れることが少なくない。そうした気軽さや小回りの利く点が、被災地で大変重宝しています。

 能登半島地震でも、大型のダンプカーや重機が入り込めない現場に軽トラで乗り付け、家財道具や瓦礫を運ぶということが数多くありました。また、仮設住宅への引っ越しや、域外への避難にも、軽自動車がよく使われます」。

軽自動車は被災地に希望を与えられる

 他にも、軽自動車のこんなメリットが、協会の活動を後押ししているそうです。

「私たちの活動は、車集めと同じくらい資金調達が肝なだけに、軽自動車は税金や維持費を抑えられる点も、非常に助かっています。そしてもう一つ、登録の簡易さも大きなメリットです。寄付いただいた車を協会名義に変更するにあたり、軽自動車であれば普通車よりも少ない手間と時間、費用で行えますので。

 こうした理由から、当協会のすべての事業で軽自動車がとても有用で、むしろ軽があるからこそ大規模な支援や事業拡大が可能になっているともいえます。

 被災者の方々からよく聞くのが、『片付けてもキリがないくらい家はぐちゃぐちゃだけど、軽トラを借りたことで片付けを始められました。まだまだやることはいっぱいだけど、一つ片付くだけで一歩前に進んだ気になって、前向きな気持ちになれました』といったお話です。その点で軽自動車は、被災地にある種の希望を与えられる存在なのかなと思います」。

 車の無償貸し出しを、さまざまな工夫によって持続的なものとした、日本カーシェアリング協会の取り組み。災害が多発化・甚大化する現代にあって、とりわけ南海トラフ地震をはじめ大規模地震のリスクにさらされる日本にとって、その価値は今後いっそう大きくなりそうです。なお、海外にも車を寄付する文化はあるものの、それを換金した上で支援にまわすのが一般的で、車そのもので支援を行う仕組みは根付いていないといいます。将来、このエコシステムが広まって、世界の被災者を救うこともあるかもしれません。

「それこそ東日本大震災を機に起こった活動なので、もしあの規模の災害が起こっても、しっかり対応できる体制にすることが当座の目標です。そのためには、拠点がもっと必要だし、平時から寄付を募って車を増やす必要もあります。さまざまな方々と手を組みながら、日々前に進んでいきたいです。もちろん、被災地で大車輪の働きをしてくれる、軽自動車とともに」。