わたしが軽自動車を選ぶ理由。
にぎわいは軽トラに乗って
―岩手県雫石町
「元祖!しずくいし軽トラ市」
2023.10.23
日本で最初に軽トラ市が始まったのは、岩手県雫石町から。人口減少や大型商業施設の進出によって、商店街のにぎわいが減っていることを懸念し、商工会・行政・住民・商店主・農家・農協などの関係者が組織の枠を超えてワークショップを行った結果、「一家に一台軽トラがあるじゃないか!」という気付きから生まれたのが、「元祖!しずくいし軽トラ市」です。このユニークな発想は、その後日本各地に広がっていくことになります。
「自分でやりたい」から始まった餅づくり
2005年7月の第1回から参加しているのが、雫石町で「もち工房 しずくの里 茶茶」を営む中川トヨ子さんです。この日も軽トラの荷台のあおり部分を倒して作られた軽トラ市用の簡易店舗には、俵型に整えられた“きりせんしょ”や“すあま”(いずれもうるち米を粉にして甘みをつけて練ったおやつ)、柔らかな“バター餅”(もち米とバターで作るおやつ)、畑で取れた野菜などがズラリと並びます。「バター餅は、もともと秋田の郷土菓子なのだけど、作ってみたらと勧められたんです。甘くておいしいから、若い人にも人気があります」と中川さん。
もともと調理師として勤めていた中川さんは、ある時「自分でお店をやってみたい」と一念発起。お茶にあうおやつを提供したいという思いで「もち工房 しずくの里 茶茶」を始めました。
ちょうど同時期に始まったのが「元祖!しずくいし軽トラ市」でした。販売場所の一つとして誘われて出店を開始。以来20年近く、月1回の出店を続けてきました。「ずいぶん長く通ってくださる常連さんもいて、定期的に会ってお話するのが楽しいんです」と話します。
軽トラは、お店であり、足であり、相棒
軽トラは、中川さんの生活にとってなくてはならないものです。材料の仕入れや商品の納品はもちろん、田んぼや畑での作業のおともとしても大活躍。さらに近隣に出かける普段の外出に欠かせない大切な足でもあります。「私のように小柄でも、車体が低くて乗りやすいのが助かります。少しの距離でも億劫にならずにサッと乗れるのが、軽自動車のいいところ!」と相棒について話す中川さん。気軽に乗れる車があることは、毎日の活動の範囲を広げることに一役買うことがわかります。
中川さんは、雫石商工会女性部の一員としても活動しています。女性部が主導して運営している店「しずくきらり」での販売や、街の美化活動などでも忙しく働く、その傍らにももちろん軽トラの姿があります。
震災の後にもやって来た軽トラ市
2011年3月11日、東北地方は東日本大震災に見舞われ、岩手県も甚大な被害を受けました。海沿いではなかった雫石町は津波の被害は免れましたが、日頃から軽トラ市に出店していた海産物を扱う事業所が大きな被害を受けました。漁場も失い倉庫も浸水し、事業の継続すら危ぶまれる状況にも関わらず「とりあえず軽トラ市に行こう」と決意。海水に浸かってしまい売り物にはならなくなってしまったけれど、真空パックのため品質に影響はない商品を積んで、雫石町へ。来場者に無料で配られました。
当時のことを「元祖しずくいし軽トラ市」実行委員長の相澤潤一さんはこう振り返ります。「事業そのものを辞めることも検討されていましたが、お客さんの温かい声で継続しようという気持ちが少しずつ湧いて来たそうです。『楽しみにしてます』『また来てね』『おいしかったよ』。何気ない言葉でしたが、大勢の人から直接言葉をかけられて、『辞めるわけにはいかなくなった』と笑っておられました」。
今でも寅丸水産は、毎月軽トラ市にやってきます。内陸に位置する雫石町では、その場で味わえる蒸し牡蠣や海鮮汁は行列必至の人気メニューで、これを求めて訪れるお客さんも大勢います。「苦しい時期でしたが、お客さんたちのおかげで続けられました」と上林さん。
マンネリを恐れない!
「軽トラを並べたユニークな市なら人が呼べるのでは?」とみんなで考えた町・雫石での軽トラ市は、今年で18年目を迎えました。毎月60台あまりの軽貨物自動車が並び、時には出店のキャンセル待ちが出るほど。なかなか買えないブランド牛・雫石牛が店頭に並んだり、5〜6月は山菜、10月はキノコなどの山の恵みが破格の値段で購入できたりと、雫石の魅力を伝える場にもなっています。「これどうやって食べるの?」「キノコは来月には出そうよ。また来て」とそこここで生産者とお客さんのやりとりが聞こえます。
相澤さんは、「軽トラは独特の規格です。このコンパクトなトラックは、サイズ感や用途が、日本人や日本の風土に合っています。私たちも軽トラ市を長年続ける中で培った、車両の入場の仕方など様々なノウハウを、全国各地と共有しているんですよ」と話します。長く続けるコツはなんですか?と尋ねると、「マンネリを恐れないこと。マンネリって捉え方によると思うんです。よいマンネリは変えずに定番化していけば、人気コンテンツになります。よくないマンネリ化は意見を出して新陳代謝する、そんな体制を作っておくことが大事です」。
軽トラ市の実行委員には、真剣に地域のことを考える若手も多く参加しています。軽トラ市のにぎわいに誘われて、同時に骨董市やフリーマーケットも行われるようになりました。午前中に買い物を楽しんだ観光客が、午後は温泉や近くの小岩井農場を訪ねるような流れも生まれています。「町と地域の人、観光で訪れる方との接点が増えたことが、一番の収穫です」と相澤さん。街のにぎわいを取り戻し、発展させることに、軽トラがシンボルとして役立っています。